短歌で綴る令和の日常
牛乳に
混ぜず取り置く粉コーヒー
ストローで吸い
むせて笑わる
おかずの量の足らざりて
嬉しさ返って
恨めしくなり
完食を
成した人からおかわりに
好きなもの程
美味(うま)く食べれず
うーん、給食の味は何もかもペーソス風味。
それがいい。それが思い出。
でもやっぱりソフト麺なんかには、思い出深いものがありますね。いま考えても、どうしてあんな献立になったのか不思議ですが、麺に対しておかずの量が、3分の1くらいの時がよくありました。そうすると3分の2を、生で食べないといけないことになるのですが、世界中を見渡してもあらゆる料理で、麺だけで食べるものと言ったら、ベビースターラーメンしか思いつかないんです。うどんも、ラーメンも、パスタでも、スープかおかずが付き物ですが、それを生で頂かないといけないわけです。ベビースターラーメンでも、麺自体に味が付いてますよね。それがソフト麺ですと、もう小麦粉の固まりくらいです。食育どころか今のご時世で言ったら、麺だけを生で食べるレシピなんて言ったら、ギネスに認定されるか、場合によっては国連の高等弁務官事務から査察が入ってしまうかもしれません。もしくは黒柳徹子さんなんかの働きかけで、ユニセフからもう一品、汁気の多いおかずの配給になるかもしれません。でもその世代の子供は、ほとんど何も言わず、その状況をやり繰りしていたんですね。そう考えると、今でも時折り牛丼家に行って、牛丼が食べれないのも、この時の記憶が作用しているんじゃないかと思う事があるんです。ご飯に対するおかずの比率が低くならない様に、先ず下の方から白いご飯を食べて行くのですが、いつの間にか牛肉と玉ねぎだらけになってしまい、結局ご飯とおかずを別々に食べる事になり、牛丼として食べられない結果に終わってしまうのです。きっとソフト麺の一件で、先ずは白い部分優先という条件反射が、DNAの配列にまで影響してしまったんでしょうね。時に若い人なんかが、頭から頬張っているところなんかを見かけると、面食らってしまい、『大丈夫?後でつらい思いをしないかな。』なんて、内心余計な心配をしてしまうくらいですよ。
給食の食パンにも、ある種の感慨が伴いますね。『これ一体、どうやってやり過ごせばいいのかな。』と思い悩むほど、おかずとの取り合わせが悪く、なおかつジャムやマーガリンが付かない時ってあったりしました。良く先生が「パンの耳だけを残してはいけません。」と、力説されていましたが、先日ブログで触れた様な、耳まで美味しい食パンを考えた人って、もしかしたら、この時代の学校給食で鍛えられた世代の人なのではないでしょうかね。「欠乏は発明の母」とも言いますしね。その世代の大方の女子は、辛抱強く少しづつ咀嚼して食べたのでしょうけど、男子はナプキン袋に入れて、下校する時にむやみに吠える、全然知らないお家の犬に食べさせて、手なずけていたりしましたよ。
おかわりと言えば、こんな事もありました。普段は授業中ほとんど手を上げる事もなく、おとなしい女子が、ある時、給食のおかずをおかわりするんです。教室の全員が「!?」だったと思います。その時代は級長や児童会長に、女子がなるなんて考えられないくらい、女の人は慎ましい存在だと思われていましたので、その時のおかずがよほど美味しかったのか、好きだったのかも知れませんね。今考えても本当に微笑ましいし、そして何だったのだろうあの時のおかず。
こうやって見てくると、行き届かなかった給食の献立のおかげで、こうして社会を渡って行くサバイバルの術を身につけていったわけですから、何が幸いするかわかりませんね。その時代の給食に、人知れず仕組まれた、正解の無い答えを探すという、人生の学びだったのかも知れません。現代の「セレクト給食」というものを聞き知った時なんかには、異次元に放り出されたような気持ちになったりもしましたが。
長々と綴って来ましたが、それもこれも、その時代の給食への愛なんでしょうね。やっぱり給食の全てが好きなんですよ。
食パンの
味気の無さに打ちひしがれ
言葉無くして
犬と語らう
ひっそりと
しかし毅然とよそぎたる
アルミの食器
中身は知れず
正解の
無き問いを解く教えなり
学校給食
我を磨けり
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